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現在、以前からは想像もつかないほど良い食生活をしています。 「ふつうの生活」が、当たり前のように送れる毎日−。そのことに不思議さを感じるほどです。
それは、丸橋先生の一冊の本との出会いから始まりました。当時の私の歯は、上下ともグラグラに揺れ何も咬めない状態。「30代にしてこうなるのは、特別な体質だから」「歯医者にかかるのも恥ずかしい」という概念にとらわれていたのです。しかし「ほかにも同じように悩み」「見事に治っている」人がいることを初めて知りました。
本に書かれた治療例『レントゲンによる−歯槽骨の蘇生の実証−』には目を見張りました。それでも、自分の症状では不可能だろうという思いもありました。そして、自分の口の中を見られることへの抵抗。これに勝ったのが「た
とえ入れ歯になっても、丸橋先生なら恥ずかしくない」「丸橋先生なら良い入れ歯を作ってくれる」という気持ちでした。
意を決して、高崎へ片道四時間の記念すべき出発をしました。先生の最初の言葉は「まだ若いのに」。
そして口の中を見て「これでは、皆と食事をしていても楽しめないでしょう」と気の毒そうに言われたのです。慈愛にあふれたその一言を忘れることはできません。その言葉こそ、私が長い間、悩んでいたことが凝縮されていたからです。
私が、自分の歯肉に不安を感じたのは、中学2年の時です。当時は虫歯もなく、むしろ白い歯に自信をもっていたくらいでした。ところが、いつの間にか歯肉の赤みが増し、不自然な色に変化。心配になり母に相談し、口の中を見せました。母も不安そうでしたが「とにかくブラッシングをするように」と指示。朝晩の歯磨きは習慣になっていたものの、私は14歳にして「歯周病」に侵されていったのです。
ブラッシングといっても自己流。そして、本当の歯周病の恐ろしさを知らない私は、時間とともに歯の寿命を縮めていく道をたどることになりました。その間、何カ所もの歯医者で治療。21歳の時には、虫歯が一本もないことから「何しに来たの」と言った歯医者さえいました。そのころは、ほかにも3カ所くらい通院しましたが、納得できる所はありませんでした。こうして、私の歯医者さん探しは中断。そのまま、あきらめの気持ちで時を過ごしました。
今でも忘れられません。ある朝、前歯への違和感。指で押すと、わずかながら動くのです。予想はしていても、ショックは大きいものでした。1本ぐらつき始めると、次々にぐらついてきました。あっという間に、歯が抜けないように気をつかいながら歯磨きする状態。これが夢であってほしいと思っても、毎朝かわることのない現実でした。その現実のなかで、丸橋先生の本に出会えたことは、幸運だったと思います。
初めは、通院の距離に戸惑いました。でも「私よりも、はるか遠方から通院され、見事に完治されている方々がいる。私も、そうしたあきらめない人たちの一人になりたい」と通院を決意。治療は、細かい血液検査と健康状態を調べた結果を基に進められました。歯肉の状態・咬むみ合わせなど徹底した総合的な治療。数回の治療で感じられた確かな手ごたえ。私は、通院が苦になるどころか、楽しみにさえなっていました。
すべての治療が終わり「ご苦労さま!よく頑張って通院されました」と、ねぎらいの言葉をかけてくださった先生。感激でした。私の方こそ「よくぞここまでの治療をしてくださいました」と感謝の気持ちでいっぱいです。もし丸橋歯科を知ることなく過ごしていたら、自分の歯で何でも咬める今の生活は、当然送れなかったでしょう。
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